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ストーリーの構成文化財 水城跡

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【国特別史跡】
​1350年前の百済の役敗戦に際し、日本を守るため初めに築かれた城砦です。水を貯えた濠と土塁とからなっており、今も長さ1.2kmもの巨大な土塁を目にすることができます。百済の都・扶余の東羅城(城壁)と同じ築造技術が採用されています。のちに大宰府の出入口となり、外国使節や都からの官人らを迎え、数々の物語が残されています。

水城跡(東門エリア)の画像 水城跡(東門エリア)の画像1 水城跡(東門エリア)の画像2 水城跡(東門エリア)の画像3 水城跡(東門エリア)の画像4

水城跡(東門エリア)

 660年に唐・新羅に滅ぼされた百済国の復興救援のため、日本は派兵しますが、663年朝鮮半島西岸の白村江の戦いで唐・新羅に大敗しました。
 この翌年、664年に築かれたのが「水城」です。歴史書『日本書紀』には、「筑紫に大堤を築いて水を貯えさせた。名づけて水城という」と記されます。
 中国の「万里の長城」のような施設で、幅約60mの外濠と、長さ約1.2km・幅約80m・高さ約9mの二段に築かれた土塁(城壁)で構成されます。これが周辺地形と一体化し、北東側は「大野城」と、南東側は「小水城」と呼ばれる数カ所の遮断施設とつながることで、内陸への侵入を防ぎました。
 その後、大宰府が整備され、水城はその外郭の守りとなります。ここに設けられた東西2つの門は、大宰府へ出入りする人びとの出会いの場、別れの場となり、数々の物語が生まれました。

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水城東門跡(官道東門ルート)の画像 水城東門跡(官道東門ルート)の画像1 水城東門跡(官道東門ルート)の画像2 水城東門跡(官道東門ルート)の画像3 水城東門跡(官道東門ルート)の画像4 水城東門跡(官道東門ルート)の画像5

水城東門跡(官道東門ルート)

 水城に設けられた門のひとつ、東門跡です。ここは博多と大宰府を結ぶ道があり、都から大宰府へと向かう「山陽道」(大宰府道)の終点でもありました。
 朝廷から派遣された高級官人は、ここで大宰府の官人たちの出迎えを受け、見送られました。その様子は『万葉集』にも登場します。

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衣掛神社の画像

衣掛神社

 京から大宰府へ下ってきた菅原道真の伝承を伝える神社です。
 901年、道真は大宰府へ左遷され、長旅ののち水城に着きました。ここで旅衣を脱ぎ、傍らの松と石にかけ、新たな衣に着替えました。その松を「衣掛松」、石を「衣掛石」といい、これを祀ったのがこの神社です。 「衣掛松」は枯れましたが、これで作った扁額が神社に納められています。


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水城跡(中央エリア)の画像

水城跡(中央エリア)

 660年に唐・新羅に滅ぼされた百済国の復興救援のため、日本は派兵しますが、663年朝鮮半島西岸の白村江の戦いで唐・新羅に大敗しました。
 この翌年、664年に築かれたのが「水城」です。 歴史書『日本書紀』には、「筑紫に大堤を築いて水を貯えさせた。名づけて水城という」と記されます。
 中国の「万里の長城」のような施設で、幅約60mの外濠と、長さ約1.2km・幅約80m・高さ約9mの二段に築かれた土塁(城壁)で構成されます。これが周辺地形と一体化し、北東側は「大野城」と、南東側は「小水城」と呼ばれる数カ所の遮断施設とつながることで、内陸への侵入を防ぎました。
 その後、大宰府が整備され、水城はその外郭の守りとなります。ここに設けられた東西2つの門は、大宰府へ出入りする人びとの出会いの場、別れの場となり、数々の物語が生まれました。

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水城西門跡(官道西門ルート)の画像

水城西門跡(官道西門ルート)

 水城に設けられた門のひとつ、西門跡です。大宰府と筑紫館(鴻臚館)とを結ぶ道が通っています。
 ここは、外国使節、また大宰府で風待ちする唐や新羅への遣使や留学僧たちが往来しました。

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万葉歌碑の画像

万葉歌碑

日本最古の歌集・万葉集には、筑紫で詠まれた和歌が約320首あります。
 大宰府の長官(帥)大伴旅人邸で行われ西海道諸国の官人らが集った「梅花の宴」の和歌、遠い東国から九州へ辺境防備のため派遣された防人たちによる「防人の歌」、貧者が困窮する様子と里長による税の取り立てを詠んだ山上憶良の「貧窮問答歌」などが有名ですが、そのほかの和歌にも、筑紫の情景が生き生きと詠まれています。
 このように万葉集で筑紫を詠んだ歌人たちは「筑紫万葉歌壇」と呼ばれています。市内の各所には万葉歌碑が設置されており、これを巡る万葉ファンが全国から訪れています。

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