ストーリーの構成文化財 筑前国分寺跡
筑前国分寺跡
聖武天皇は741年、日本全国に国分寺・国分尼寺を建て、七重塔に経典を収めると詔しました。こうして造られたのが、国分寺です。国分寺の総本山は、奈良の東大寺です。筑前国分寺は、大宰府が管轄した西海道(九州)の中では最も早く、756年までに完成したとみられています。
これまで金堂、講堂、七重塔、回廊など堂塔跡の遺跡調査が行われ、その成果に基づき整備されています。また、寺を囲む塀が残るところがあり、寺の範囲は192m四方とみられています。
なお、金堂跡の上に建てられている現在の「国分寺」には、平安時代後期の「伝薬師如来坐像」(重要文化財)が安置されています。
また東200mにある太宰府市文化ふれあい館には、精巧に復元された七重塔の1/10模型があります。
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太宰府天満宮から水城跡までを結ぶ「歴史の散歩道」の中核施設です。太宰府の歴史と文化にふれてもらうことをテーマに、さまざまな企画や展示がおこなわれています。
年1回開催される「まるごと太宰府歴史展」は、太宰府の歴史をわかりやすく紹介した展示会として、人気を集めています。
筑前国分寺の七重塔を精巧に復元した1/10模型も必見です!
無料 / 9:00~17:00
月曜休館(月曜日が祝日・振替休日の場合は翌日)
TEL 092-928-0800
FAX 092-928-0802
URL https://dazaifu-bunka.or.jp/
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戸籍関係木簡出土地(国分松本遺跡)
木簡とは、墨などで文字を書いた木札のことです。日本の文書行政は7世紀にはじまり、記録のため、紙と木簡が使われたことが知られています。
2012年、マンション建設に先立つ遺跡調査で小川の跡が見つかりました。その堆積層の中から13点の古代の木簡が出土しました。
その中に、人名・続柄などを記した木簡があり、7世紀末(おそらく690年代)の木簡であること、戸籍などの文書を朝廷に提出するにあたり筑前国の嶋郡役所(現在の福岡市西部から糸島市北部)から提出された木簡であること、がわかりました。
日本に現存する戸籍は、東大寺正倉院に伝えられた702年(大宝二年)の戸籍が最古のものです。それをさかのぼる7世紀に戸籍制度(人民把握の仕組み)があったことがこの木簡の発見ではじめて明らかとなりました。
驚くべきことに、正倉院の戸籍にも、同じ筑前国嶋郡のものがあります。同じ地域のことを時間を追って確認できるという、奇跡的な発見となりました。
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【国史跡】
聖武天皇の命で全国に建立された国分寺の一つです。周辺で戸籍計帳木簡が発見され、国府など筑前国の関連施設も近くにあったことがうかがわれています。周辺景観は当時の面影を残しています。