日本最古の歌集・万葉集には、筑紫で詠まれた和歌が約320首あります。
大宰府の長官(帥)大伴旅人邸で行われ西海道諸国の官人らが集った「梅花の宴」の和歌、遠い東国から九州へ辺境防備のため派遣された防人たちによる「防人の歌」、貧者が困窮する様子と里長による税の取り立てを詠んだ山上憶良の「貧窮問答歌」などが有名ですが、そのほかの和歌にも、筑紫の情景が生き生きと詠まれています。
このように万葉集で筑紫を詠んだ歌人たちは「筑紫万葉歌壇」と呼ばれています。市内の各所には万葉歌碑が設置されており、これを巡る万葉ファンが全国から訪れています。
日本最古の歌集・万葉集約4500首のうち、筑紫で詠まれた歌は約320首があります。このため、奈良時代の神亀から天平年間に太宰府に滞在し万葉集に歌を残した著名な歌人集団は万葉集筑紫歌壇と呼ばれています。とくに大宰帥大伴旅人邸で開かれた「梅花宴」32首はその名を知られています。当時「梅」は唐から渡ってきた新奇な先進の文物のひとつでした。