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ストーリーの構成文化財 大宰府条坊跡

  • 大宰府条坊跡の画像

古代、東アジアの都で採用された碁盤目の地割をもつ都市の跡です。飛鳥時代に造営され、奈良時代には政庁・朱雀大路を備えました。その姿は唐の長安城をモデルとした平城京と似ており、設計・造営には平城京造営責任者があたっています。今も街の処々に条坊の痕跡をとどめた地割が残されています。

朱雀門礎石の画像

朱雀門礎石

 ここは、政庁南門から真南へ230mの地点です。 前を流れる御笠川の川底から、1982年に柱をすえる円座をもつ古代の礎石が発見されました。重さ7.5tもあり、上流から流されてきたような痕跡もないことから、もとの場所からあまり動いていないと考えられます。このことから、この付近に政庁・官庁へ入るための南の正門「朱雀門」があったと考えられています。

 この南には、政庁に至る大道「朱雀大路」がありました。路面幅は約36m(120尺、8世紀)あり、奈良・平城京の朱雀大路(約75m)に次ぐ広さがありました。この広さは、外国使節などを迎える儀礼の場の意味もあったと考えられます。朱雀大路沿いには、都から赴任した官人が住まう「館」や、外国使節が滞在する「客館」が並んでいました。その先、街の南には「次田の湯」(現在の二日市温泉)もあり、官人や僧が入湯したという記録もあります。
 朱雀大路の両側には、一区画は約90m四方の碁盤目の街・大宰府条坊が広がっていました。南北22区画(条)、東西20区画(坊)あり、約2km四方の広さがありました。
 街の姿はずいぶん変わってしまいましたが、碁盤の目となっていた区画の痕跡を、ところどころに見ることができます。

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