ストーリーの構成文化財 太宰府の梅
通古賀の飛梅
菅原道真は、梅の花をたいへん愛でたことで知られています。
901年、平安京から大宰府へ左遷される日、自邸・紅梅殿の梅に和歌を一句詠みかけました。
「東風(こち)ふかば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」
(東風が吹き春がきたら、香しい匂いの花を咲かせておくれ、梅の木よ。主人が都から遠く離れた大宰府に行ったからといって、春の訪れを忘れるなよ。)
すると梅が道真を慕い、京から大宰府へ飛んできました。これが「飛梅」(とびうめ)です。
のちに飛梅は、太宰府天満宮本殿脇に植えかえられますが、もとの場所にはその実が植えられました。これが「通古賀の飛梅」の由来で、道真の配所とされる榎社の近くにあります。
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奈良時代、春一番に開き馥郁と香る「梅」は唐から渡ってきた先進の文物のひとつでした。万葉集には「梅花宴」が残されています。太宰府でも観梅は広まりましたが、とくに菅原道真が梅をこよなく愛したことから、飛梅伝説・浄妙尼伝承とともに、太宰府、太宰府天満宮に梅のイメージが重なっていきました。現在も天満宮への献梅行事が行われ、多くの家々の庭に植えられています。
(飛梅伝説は都から太宰府へ道真を慕って一夜で飛んできた梅のことで、本殿脇の木がそれと伝えられています。
浄妙尼伝承は太宰府での不便な生活を強いられる道真に焼餅などを梅の枝に刺して差し上げたり、なにくれと世話を焼いた老婆の話です。現在太宰府名物となっている「梅ヶ枝餅」のはじまりとされます。)