南から石階段を上がると礎石が並んでいます。これが大宰府政庁に入る正門・南門跡です。東西に6個づつ、南北3個づつ礎石が並んでおり、朱塗りの楼門だったと考えられています。
(「西の都」のパンフレットやホームページの扉で描いた朱塗りの建物は、この南門を復元したイラストです。)
大宰府での本格的な遺跡調査は、1968年にここから始まりました。出土した地壇具から南門が8世紀初頭に建てられたこと、941年の「藤原純友の乱」で火災にあっていたこと、しかしその後も再建されたこと、が明らかとなりました。失われていた過去のことがらが次々と明らかになったことで、史跡がこの地域の誇りとして語られる大きな一歩となりました。