政庁東の丘陵は、「月山(つきやま)」「辰山(ときやま)」と呼ばれ、水時計を置き、時を告げるための「漏刻台」があったと伝えられています。 この丘陵東側にも、大宰府の実務を担った部署(官司)の一つがあったことが遺跡調査でわかりました。東西112.1m、南北71.3mの空間を柵で囲い、その中に建物が並んでいます。その一部が遺構表示されています。 このような実務官司の跡が、政庁域を取り囲むように見つかっています。