大野城をめぐる城壁の東南部に設けられた城門です。2003年7月の豪雨災害の復旧に伴う遺跡調査によって、2005年に発見されました。現在はふたたび埋め戻されています。
先に築かれた土塁を掘り下げ、壁と床に石を張った城門です。門道の外側は崩落し失われていましたが、長さ約8m、幅3.24m、高さ1.15mほど残っており、門扉を支えた礎石(唐居敷)も残っていました。出土品から、奈良時代には瓦ぶきだったことがわかります。
近くに太宰府天満宮方面へと下る道があり、この道に設けられた城門であった可能性が考えられます。
城門の近くには、焼米ヶ原、盲目の琵琶法師として知られる玄清法印(げんせいほういん)の墓、遠見所などがあります。