日本遺産 太宰府
古代日本の「西の都」 〜東アジアとの交流拠点〜

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観世音寺口城門

観世音寺口城門

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 大野城の南側に二重にめぐらした城壁のうち、外側城壁上で最も南に設けられた城門です。

 この門は、遺跡調査によって、2時期の変遷があったことがわかりました。
 最初の門は掘立柱の門でしたが、その後、壁と床を石張りした城門となりました。門道の長さは9.85m、幅は約4.4mほどあります。門道の内側には、城内側に上りの石階段を10段ほど設けていました。奈良時代には瓦ぶきの門だったようです。

 この城門から尾根沿いを下ると、観世音寺や学校院跡付近に至ります。古記録によれば、この城門から下る道を北限とする山林を観世音寺が所有しており、この門のことを「遠賀門(おかもん)」と記しています。「遠賀(おか・おんが)」は福岡県北部の地域で、その出身者からなる「遠賀団」という古代の軍団の一つがあったことが知られています。「遠賀門」の名は、遠賀団の兵士がこの門を守ったため名づけられたと考えられます。

 城門の近くには、倉庫跡(増長天礎石群)があります。

? ※ 「掘立柱」とは、地面に穴を掘り柱を立てて、埋めて固定させる、日本の伝統的な建築技法です。



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