水城の中央には、太宰府から博多へと下る御笠川が流れています。水城の名は水を貯えたことに由来することから、御笠川と水城との関係については、古くから考察されていますが、まだ十分に解明されていません。
ここを通る高速道路の橋脚工事のときに、水城の土堤が途切れる川沿いで遺跡調査を行ったところ、人の頭ほどの巨石が集中して見つかりました。これをもとに、大きく二つの説が出されています。
一つは、石で堰をつくって上流側に水をたたえたとする「洗堰」説。外からの侵入を完全に防ぐための施設と考えるものです。
もう一つは、周辺に「古門畑」という小字名、奈良時代の瓦・鬼瓦・?(レンガ)の発見、舟が通う風景を詠んだ和歌から、「水門」と考える説。川に近い部分は石塁となり、そこに水門があって舟が通っていた、とするものです。
? 川の氾濫などの影響で当時の姿はとどめていないかもしれませんが、将来解明されることを期待したいと思います。