日本遺産 太宰府
古代日本の「西の都」 〜東アジアとの交流拠点〜

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金堂

金堂

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 正面向かって左の建物が、金堂です。東に入口をもつ金堂を伽藍の西側に置くのが、観世音寺の特徴です。

 現在の金堂は、寛永年間(1624〜1644年)に筑前藩主の黒田家によって仮堂として再建されました。南北幅は14.16m、東西は10.93mです(福岡県指定文化財)。

 このまわりは遺跡調査が行われ、古代の基壇が確認されました。側面を平瓦で積みあげた瓦積み基壇で、南北幅は約24m、東西は約18mでした。記録によればこの上に、南北幅約16m、東西約10m、高さ約4.3mの瓦ぶき二層の金堂が建っていました。現在の金堂にも、円形の柱座をもつ礎石が使われていますが、これは古代の金堂礎石を再利用したものとみられます。

? なお、金堂の本尊はもともと銅造の阿弥陀如来像でした。これは1586年の岩屋城の戦いで鋳つぶされ、刀のつばとなったと伝えられています。こののち、講堂にあった木造阿弥陀坐像が金堂の本尊として移されたようです。これも今は、宝蔵に安置されています。



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