大宰府学校院は「府学校」と呼ばれ、「学生」「医生」「算生」200人以上が学んでいました。彼らは西海道の六国(現在の福岡・佐賀・長崎・熊本・大分)からきた、郡司など豪族の子弟たちです。 「学生」は、官吏として必要な教養科目として『論語』『孝経』など儒教の基本文献など学びました。 「医生」は薬や医療のことを学び、医師となりました。 「算生」は算術を研究し、計算や測量などの技術系官人となりました。