古代都市・大宰府条坊の中心部の丘陵上にある、古代寺院跡です。地名は「般若寺」といい、これが寺名とみられます。
記録によれば、7世紀中ごろに筑紫大宰府の長官だった蘇我日向(そがのひむか)が、ときの孝徳天皇の病気平癒を願って、654年に建立した寺院と記されています。この寺は私寺として建立されましたが、のちに国分寺などの官寺に準じた扱いを受ける寺院となったようです。
これまでの研究では、般若寺はもともと別の場所にあり、この地に移建されたとみられています。しかも、8世紀に大宰府条坊内に置かれた寺院は、観世音寺と般若寺の2寺だけでした。いずれも天皇にゆかりをもつ寺院ということで共通するようです。
以前は、丘陵上に堂舎の基壇跡が目視できたようですが、宅地造成によってほとんどが削られてしまいました。
ただ遺跡はかろうじて残っており、7世紀末の掘立柱建物跡や、8世紀の塔の基壇が見つかっています。その後はよくわかっていませんが、12世紀には経塚が造られ、13世紀頃に七重石塔(国の重要文化財)が寺域の一画に建てられました。