1914年、国鉄(現在のJR)線路の複線化に伴う拡幅工事が行われ、水城跡の土塁が切り崩されました。
このとき、当時の東京大学や九州大学の教授が土塁断面の調査を行い、水城の構造について研究成果を発表しました。水城の土塁には、土と砂を交互にまいて突き固める「版築(はんちく)工法」が用いられ、また軟弱地盤の基底部には樹木の枝葉を敷く「敷粗朶(しきそだ)工法」が用いられていますが、こうした状況が調査記録や美術学生によるスケッチで残されています。
とくに驚きをもって報告されているのが、敷粗朶に使われた葉が緑色のまま見つかることでした。しばらく空気に触れることで茶色に変化する様子も報告されています。
2014年、この断面を保存整備するための遺跡調査が行われ、100年前の調査結果を、現代の調査技術で追認することができました。