ここは、水城西門跡です。
大宰府と筑紫館(鴻臚館)とを結ぶルート上にあり、外国使節、また大宰府で風待ちをして唐や新羅へ向かう遣使や留学僧たちが往来したと推測されています。
ここは遺跡調査によって、3時期の門の移りかわりが確認されています。
最初の門は7世紀後半に造られました(?期)。伝統的な「掘立柱」の門で、門壁は石垣となっています。門柱も、腐食しつつも直径52cmの柱材が残っていました。
8世紀はじめになると大宰府政庁の整備が行われ、ここも礎石建ちの門となりました。瓦ぶきの門とみられています(?期)。
9世紀中ごろから後半にかけて、門に取り付く土塁が大きく付け足され、これに伴い門道の幅を狭くするよう改修されたようです。このころの瓦が、土塁の上からも見つかっており、大きな門だったことがうかがえます(?期)。
? いずれの門も、土塁中心部付近の小高い位置に設けられており、外国使節を迎える大宰府の入口にふさわしい、壮麗な門だったと考えられます。