四王寺山の中腹にある、中世の城跡です。
1557年、大内氏(山口)に代わり、大友氏(大分)が筑前(福岡北部)を支配するようになり、のちに高橋紹運が、ここ岩屋城や宝満城の城督となります。
1586年7月、高橋紹運は、九州制圧をめざす島津氏(鹿児島)の兵2万と、わずか700余名で2週間あまりを戦い、全員討ち死にしました(岩屋城の戦い)。この間、豊臣秀吉が九州入りし、島津軍は撤退。秀吉の九州制覇のきっかけとなりました。
勇猛果敢な高橋紹運の戦いぶりは、後々たたえられました。
この岩屋城本丸跡は、たいへん見はらしの良い場所で、ここから「西の都」大宰府を一望することができます。