観世音寺境内の北西に、僧・玄?の墓と伝えられる石塔があります。 玄?は、遣唐使とともに唐へ渡り、18年間過ごしました。唐の玄宗皇帝に認められ、三品に准じて紫の袈裟を下賜されています。 735年に帰国し政権の担い手となりますが、反感をかいました。彼らの排除を求めて大宰府で反乱を起した藤原広嗣は、捕えられ殺されます。 745年、玄?は観世音寺造営の責任者に左遷され、その翌年、完成の供養を行いますが、その日に急死します。これは藤原広嗣の霊によって殺されたと、歴史書は伝えています。