玄?は、彼らの朝廷からの排斥を訴え大宰府で反乱をおこして死んだ、藤原広嗣の霊によって殺されたと伝えられています。 伝説によれば、746年、観世音寺伽藍完成とされる供養を玄?が行っていたとき、急に雲が沸き、雷鳴とともに玄?は天高く引き上げられました。その後、胴体は観世音寺に、首は奈良・平城京にある興福寺に落ちた、とされています。このため、ここは「玄?の胴塚」とも呼ばれています。 墓には、14世紀頃の石塔(宝篋印塔)が建っています。中世大宰府の石造文化を伝える文化財です。