日本遺産 太宰府
古代日本の「西の都」 〜東アジアとの交流拠点〜

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本堂

本堂

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 戒壇院の建物は、905年の記録や古絵図から、東西に細長い正堂と礼堂の二棟が並んでいたとみられ、1148年の記録には、戒壇院の柱間は5間と記されています。
 その後の戒壇院は衰退し、1668年に博多の聖福寺・承天寺・崇福寺のもとに禅宗寺院として再出発しました。現在の本堂は1680年に再建されたとされる、禅宗様の建物です。

 本尊は、奈良の東大寺大仏と同じ、盧舎那仏です(国の重要文化財)。12世紀の制作とみられ、手のひらを外に向けて説法を行う姿をしています。
 本尊の両脇には、文殊菩薩像(向かって右)、弥勒菩薩像(向かって左)が立っています(太宰府市指定文化財)。いずれも江戸時代の制作で、京都の仏師によって制作され、ここで仕上げられました。このころ、梵鐘(福岡県指定文化財)、木造鑑真和上像(太宰府市指定文化財)、観世音寺とゆかりのある弘法大師(空海)像なども制作されました。

? 中央の段が受戒の場となる「戒壇」です。ここに天竺(インド)、唐(中国)、奈良(日本)の土を納めたと伝えられています。



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