1300年前の昔、アジアでもっとも栄えていた国が中国の唐でした。
日本は何度も「遣唐使」を送り、たくさんの文物や先進の情報を持ちかえり、国づくりに活かしました。
奈良の平城京は、唐の都「長安」を実際に見てきた遣唐使・粟田真人もかかわって、長安をモデルに造られた都です。
平城京ができたころ、粟田真人は太宰府の長官となり、ここでも都に似たまちづくりを進めました。
大宰府政庁を中心としたこの地域は、東アジアからの文化、宗教、政治、人などが流入・集積するだけでなく、古代日本にとって東アジアとの外交、軍事の拠点でもあり、軍事施設や都市機能を建設するのに地の利を活かした理想の場所でした。
現在でも大宰府跡とその周辺景観は当時の面影を残し、宗教施設、迎賓施設、直線的な道や碁盤目の地割跡は、1300年前の古代国際都市「西の都」を現代において体感できる場所となっています。