大宰府には、唐や新羅から正式な国の使節がやってきました。それは外交のためです。
そして大宰府は外国使節を迎え、もてなしを行う役割を任されていました。正式な外国の使節を迎えるため、それに見合う都でなくてはなりません。長安をモデルに作られた都で、外国使節との儀礼が行われました。儀礼では漢詩や書を交わしたり、舞楽が披露され、また日本や唐・新羅の最高級の食器、豪華な食事でもてなしました。こうしてお互いに交流を深めていったのです。
外国の使節からは陶磁器や香辛料、羊毛のフェルトなど様々なものがもたらされました。そして日本からはたくさんの絹や水晶などが送られました。
当時「筑紫の絹」は外国で大変珍重されたので、大陸に持ち帰られた「筑紫の絹」は、シルクロードを通ってヨーロッパまで伝わったのかも知れません。