世界とつながる「西の都」コース
大宰府の史跡・文化財を東西にめぐる、もっとも一般的なコースです。
太宰府天満宮、観世音寺、大宰府政庁跡、水城跡・・・と、有名スポットをめぐります。
途中、北の大野城、南の基肄城を遠望して、「西の都」の広さを体感しましょう。
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観世音寺
百済(古代朝鮮三国の一つ)は日本と交流が深かった国でしたが、660年に滅亡しました。その復興救援に向かった斉明天皇は、661年、筑紫(福岡)で亡くなります。その供養のため、子の天智天皇が発願した寺院が、観世音寺です。
創建は7世紀後半ですが、その完成には80年あまりの歳月が流れ、746年に伽藍完成の供養が行われました。761年には、僧に授戒をする「戒壇院」も設けられています。
観世音寺は「府の大寺」とよばれ、西海道(九州)の仏教寺院の頂点となる大寺院でした。ここに集まった先進文化の数々を、今も見ることができます。 -
戒壇院
僧が守るべき道徳規範や集団規則を「戒律」といい、これを受ける儀式を経て、僧尼と認められました。
戒律は、聖武天皇に招請され来日した唐僧・鑑真によって伝えられました。鑑真は失明しつつも、6度目の渡航でようやく日本へ渡りました。そして、京に向かう途中、観世音寺を訪れ、753年12月に日本で初めての授戒を行ったのです。
761年、観世音寺に戒壇院が、西海道(九州)の授戒の場として設けられます。東大寺(奈良)、下野薬師寺(栃木)の戒壇院とともに、「天下の三戒壇」と呼ばれました。 -
大宰府学校院跡
大宰府学校院は「府学校」と呼ばれ、「学生」「医生」「算生」200人以上が学んでいました。彼らは西海道の六国(現在の福岡・佐賀・長崎・熊本・大分)からきた、郡司など豪族の子弟たちです。
「学生」は、官吏として必要な教養科目として『論語』『孝経』など儒教の基本文献など学びました。
「医生」は薬や医療のことを学び、医師となりました。
「算生」は算術を研究し、計算や測量などの技術系官人となりました。 -
大宰府政庁跡
大宰府政庁は、大宰府の中心的な場所です。ここは、都の宮殿と同じような構造となっています。
南から階段を上がると「南門跡」です。中は塀で囲われた空間でした。ここを進むと「中門跡」です。さらに進むと、中門からのびる回廊で囲われた広い庭(空間)に入ります。ここで政務や儀礼が行われ、ときには外交儀礼も行われたと考えられます。
正面(北の中央)の高くなったところが「正殿跡」です。庭の東西には2棟づつ「脇殿跡」があります。正殿の背後に「後殿跡」があります。ここが大宰府の長官が執務した場所とみられます。
次に、政庁跡の周囲を見てみましょう。
北の山上に「大野城」、南正面の山上に「基肄城」があります。665年に築かれた山城で、大宰府「西の都」の外郭を守っています。
東は「月山(つきやま)」丘陵で、「漏刻台」すなわち水時計が置かれ、時を告げたと伝えられています。
西は「蔵司」丘陵で、巨大な礎石建物跡が残っています。
南は官庁域です。その先は朱雀門から朱雀大路(南北大路)がのび、古代の街が広がっていました。 -
大宰府展示館
遺跡調査で見つかった遺構を保存・公開している施設です。太宰府の歴史紹介や出土品の展示も行っています。
大宰府政庁などの復元模型、博多人形師による「梅花の宴」ジオラマ、古代食復元など見どころ満載!
市内を案内する史跡解説員ボランティアも歴史があり充実しています。
無料 / 9:00~16:30
お知らせ: 令和元年(2019年)7月2日(火)より、有料となります。
大人200円 高校・大学生100円
無料: 中学生以下
学校教育活動および引率者
障害者福祉法等に基づく手帳交付を受けた方及び介護者
休館 月曜・年末年始(12月28日~1月4日)
※月曜日が祝日・振替休日の場合は翌日休館
TEL 092-922-7811
URL http://www.kotodazaifu.net/index.html大宰府展示館
遺跡調査で見つかった遺構を保存・公開している施設です。太宰府の歴史紹介や出土品の展示も行っています。
大宰府政庁などの復元模型、博多人形師による「梅花の宴」ジオラマ、古代食復元など見どころ満載!
市内を案内する史跡解説員ボランティアも歴史があり充実しています。
無料 / 9:00~16:30
お知らせ: 令和元年(2019年)7月2日(火)より、有料となります。
大人200円 高校・大学生100円
無料: 中学生以下
学校教育活動および引率者
障害者福祉法等に基づく手帳交付を受けた方及び介護者
休館 月曜・年末年始(12月28日~1月4日)
※月曜日が祝日・振替休日の場合は翌日休館
TEL 092-922-7811
URL http://www.kotodazaifu.net/index.html詳細へ -
遠賀団印出土地
古代に筑前国におかれた軍団の一つ、「遠賀団」の公印「遠賀団印」が、1899年に水城小学校の敷地内で発見されました。
縦4.2cm、横4.1cm、高さ5.2cmの銅印です(国の重要文化財)。今は東京国立博物館にあります。
古代日本では、数百人から千人の兵士が所属する軍団が各国に数団ずつ置かれました。規定では、健康な成人男性3人に1人が兵士に徴発されることになっており、本籍地に近い軍団に所属しました。
「遠賀」は、現在の北九州市の西側の地名で(福岡県北部)、この地方の出身者で構成された軍団とみられます。
※写真のモニュメントは、小学校構内のため一般公開されていません。 -
御笠団印出土地
古代に筑前国におかれた軍団の一つ、「御笠団」の公印「御笠団印」が、1927年に発見されました。
縦横とも4.2cm、高さ5.2cmの銅印です(国の重要文化財)。いまは東京国立博物館にあります。
古代日本では、数百人から千人の兵士が所属する軍団が各国に数団ずつ置かれました。規定では、健康な成人男性3人に1人が兵士に徴発されることになっており、本籍地に近い軍団に所属しました。
「御笠」は、太宰府地域の地名で、ここの出身者で構成された軍団とみられます。 -
太宰府市文化ふれあい館
太宰府天満宮から水城跡までを結ぶ「歴史の散歩道」の中核施設です。太宰府の歴史と文化にふれてもらうことをテーマに、さまざまな企画や展示がおこなわれています。
年1回開催される「まるごと太宰府歴史展」は、太宰府の歴史をわかりやすく紹介した展示会として、人気を集めています。
筑前国分寺の七重塔を精巧に復元した1/10模型も必見です!
無料 / 9:00~17:00
月曜休館(月曜日が祝日・振替休日の場合は翌日)
TEL 092-928-0800
FAX 092-928-0802
URL https://dazaifu-bunka.or.jp/ -
筑前国分寺跡
聖武天皇は741年、日本全国に国分寺・国分尼寺を建て、七重塔に経典を収めると詔しました。こうして造られたのが、国分寺です。国分寺の総本山は、奈良の東大寺です。筑前国分寺は、大宰府が管轄した西海道(九州)の中では最も早く、756年までに完成したとみられています。
これまで金堂、講堂、七重塔、回廊など堂塔跡の遺跡調査が行われ、その成果に基づき整備されています。また、寺を囲む塀が残るところがあり、寺の範囲は192m四方とみられています。
なお、金堂跡の上に建てられている現在の「国分寺」には、平安時代後期の「伝薬師如来坐像」(重要文化財)が安置されています。
また東200mにある太宰府市文化ふれあい館には、精巧に復元された七重塔の1/10模型があります。 -
水城跡(東門エリア)
660年に唐・新羅に滅ぼされた百済国の復興救援のため、日本は派兵しますが、663年朝鮮半島西岸の白村江の戦いで唐・新羅に大敗しました。
この翌年、664年に築かれたのが「水城」です。歴史書『日本書紀』には、「筑紫に大堤を築いて水を貯えさせた。名づけて水城という」と記されます。
中国の「万里の長城」のような施設で、幅約60mの外濠と、長さ約1.2km・幅約80m・高さ約9mの二段に築かれた土塁(城壁)で構成されます。これが周辺地形と一体化し、北東側は「大野城」と、南東側は「小水城」と呼ばれる数カ所の遮断施設とつながることで、内陸への侵入を防ぎました。
その後、大宰府が整備され、水城はその外郭の守りとなります。ここに設けられた東西2つの門は、大宰府へ出入りする人びとの出会いの場、別れの場となり、数々の物語が生まれました。