奈良時代、春一番に開き馥郁と香る「梅」は唐から渡ってきた先進の文物のひとつでした。万葉集には「梅花宴」が残されています。太宰府でも観梅は広まりましたが、とくに菅原道真が梅をこよなく愛したことから、飛梅伝説・浄妙尼伝承とともに、太宰府、太宰府天満宮に梅のイメージが重なっていきました。現在も天満宮への献梅行事が行われ、多くの家々の庭に植えられています。
(飛梅伝説は都から太宰府へ道真を慕って一夜で飛んできた梅のことで、本殿脇の木がそれと伝えられています。
浄妙尼伝承は太宰府での不便な生活を強いられる道真に焼餅などを梅の枝に刺して差し上げたり、なにくれと世話を焼いた老婆の話です。現在太宰府名物となっている「梅ヶ枝餅」のはじまりとされます。)